繰り返し読み続けるべき本「嫌われる勇気」

各方面絶賛のロングセラー

さて、かの有名な「嫌われる勇気」です。
初版は2013年。もう10年近く経っているわけですが、いまだに本屋さんでも必ず置いてありますよね。この本のおかげでアドラーの名前も、また著者の岸見一郎先生のお名前もかなり浸透した気がいたします。

正直自己啓発系は疑ってかかってしまうところがあるのですが、こちらは哲学者の方が書かれているということ、しかもアドラーはあのユング、フロイトと並ぶ心理学者ということで、哲学科卒としてはこれは読まないといけないと思い、当時話題になったタイミングで購入し、その時点で読了していました。

最近人間関係でいろいろとあり、心構えを見直したいと思ったため、このたび再読しました。そこで感じたのは、「これは、時々読み返して体に浸み込ませないとダメなタイプの本だな。」ということでした。

著者:岸見 一郎さん、古賀 史健さん 来歴

岸見 一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。高校生の頃から哲学を志し、大学進学後は先生の自宅にたびたび押しかけては議論をふっかける。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学〈西洋古代哲学、特にプラトン哲学〉と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの“青年”のカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』『人はなぜ神経症になるのか』、著書に『アドラー心理学入門』など多数。本書では原案を担当。

「嫌われる勇気」岸見 一郎、古賀 史健、ダイヤモンド社

岸見先生は現在も相当精力的に執筆活動をされていますよね。よく新刊を目にします。
なお、太字部分は原文でも太字になっています。プロフィールが太字になっているって珍しい。
この本の内容自体が問答形式となっているので、その布石ということなのでしょうか。

古賀 史健(こが・ふみたけ)
フリーランスライター。1973年生まれ。書籍のライティング(聞き書きスタイルの執筆)を専門とし、ビジネス書やノンフィクションで数多くのベストセラーを手掛ける。臨場感とリズム感あふれるインタビュー原稿にも定評があり、インタビュー集『16歳の教科書』シリーズは累計70万部を突破・20代の終わりにアドラー心理学と出会い、常識を覆すその思想に衝撃を受ける。その後何年にもわたり京都の岸見一郎氏を訪ね、アドラー心理学の本質について聞き出し、本書ではギリシア哲学の古典的手法である「対話篇」へと落とし込んだ。単著に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』。

「嫌われる勇気」岸見 一郎、古賀 史健、ダイヤモンド社

こちらも太字は原文そのままです。今回の企画でたまたま組んだ2人、ということではなく、ライターの方自身もアドラー心理学にかなり傾倒されている方であるということで、本書に対する並々ならぬ熱意があることを想像させます。

本書の構成

上にも書いたように、この本は「先生」と「青年(性格:かなり激高しやすい)」の対話で話が進んでいきます。この構成を取ったことがとても効果的であったと個人的には思います。というのも、内容が非常に常識を覆す内容であるため、理解している人間側からのみの説明ですと、腑に落ち切らない可能性が高い内容であるからです。ですので、我々と同じ「一般常識側」の人間が登場して、我々の気持ちを代弁してくれる(我々はここに登場する青年ほどすぐに怒り狂うことはないにせよ…)ことは、内容の理解の助けになります。

ただし、注意したいのは、あくまで対話の進行の中で議論が発展していきますので、前から順番に読んでいくことが必要かと思います。結論が気になって最後をいきなり読んでしまうと、訳が分からないと思います(^^;

未来志向的な思想

この本は読み終えると、やる気が湧いてくるような気持になると思います。
というのも、アドラーの思想が、過去にとらわれずに前を向くことを肯定してくれる内容だからではないかなと思います。

(引きこもりの知人は)「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」と考えるのです。
…(中略)…
つまり、ご友人には「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学では、これを「目的論」と呼びます。

「嫌われる勇気」岸見 一郎、古賀 史健、ダイヤモンド社 P27(太字は原文どおり)

さっそく常識を覆されますね。このすぐ後ろでアドラー心理学はトラウマを明確に否定する、と述べられているように、過去が原因で現在の行動が制限されているのではなく、先の方にある目的を達成するために過去を理由(言い訳)に使っている、という感じでしょうか。

過去に縛られることを否定されるというのは、過去のつらいことを忘れられない人にとっては耳が痛いことかもしれませんが、「いつからでも変わることはできる」と背中を押されているような気持ちもしないでしょうか。

他人との比較と劣等感について

これも相当骨身に染みさせるまでには時間がかかりそうなものなのですが、

「優越性の追求」…(中略)…ここでは簡単に「向上したいと願うこと」「理想の状態を追求すること」と考えていただければいいでしょう。…(中略)…
アドラーは「優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である」と語っています。劣等感も、使い方さえ間違えなければ、努力や成長の促進剤となるのです。…(中略)…
(ただし)「劣等感」と「劣等コンプレックス」も、混同しないようにしっかり分けて考えなければなりません。…(中略)…
劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使いはじめた状態のことを指します。

「嫌われる勇気」岸見 一郎、古賀 史健、ダイヤモンド社 P79~82

ここで注目したいのは、アドラーは人と比較すること自体は否定していないということです。
自己啓発本などを読んでいると、「他人と比較するのはやめましょう」的なことがよく書かれていませんか?
「いやいやww比較しないとか無理やろwww」と内心ツッコみがちな自分としては、アドラー先生のおっしゃることは納得しやすいです。つまりは、「正しく比較しましょう、そして自分を向上させる起爆剤にしましょう」ということでしょうか。

対人関係の悩みを解消するには

また、アドラーは、

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」。

「嫌われる勇気」岸見 一郎、古賀 史健、ダイヤモンド社 P71

としつつ、

あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です

「嫌われる勇気」岸見 一郎、古賀 史健、ダイヤモンド社 P147(太字は原文どおり)

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない
…(中略)…嫌われることを怖れるな、といっているのです。

「嫌われる勇気」岸見 一郎、古賀 史健、ダイヤモンド社 P163(太字は原文どおり)

ここでタイトルが出てくるということですね。
私はここまで読んで、本書のタイトルは「嫌われる勇気」というよりは、「嫌われる可能性を怖れない勇気」というニュアンスが近いように感じました。
というのも、「嫌われる勇気」という言い方は、ともすると「積極的に嫌われに行く勇気」という解釈もできるからです。ただ、本書の場合はそうではなく、もちろん最善は尽くすが、その結果相手から嫌われたとしても、それはどうしようもない、ということかと思います。

今、ここを生きるということ

最後に、こういった議論でこの本は結ばれます。

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。

「嫌われる勇気」岸見 一郎、古賀 史健、ダイヤモンド社 P275(太字は原文どおり)

あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。

「嫌われる勇気」岸見 一郎、古賀 史健、ダイヤモンド社 P280(太字は原文どおり)

ここで個人的にちょっと驚いたのは、私が専門で研究した西田幾多郎のことばで「永遠の今」という言葉があるのですが、これは今に過去現在未来がすべてある、というニュアンスの言葉と理解しているのですが、自分のなかでつながるものを感じました。
「いま」に重きを置くということの大切さというのは、要所要所で真理として出てくるように感じます。

作者の方々がわかりやすく伝えることに腐心してくださったおかげで、本書は大変読みやすく、読んだ瞬間は割合頭に入ります。
ただ、表面的に理解するだけでは全く足りない深遠さがアドラー心理学にはありますし、その教えを正しく実践するには常に意識しつつ、その都度自分で判断するトレーニングを積むことでようやく身につくものだと思います。たとえば、「嫌われてもいい」ということをそのまま捉えて、傍若無人にふるまうのは違うでしょう。

久しぶりに読みかえしてみて、だいぶ忘れていたなあと反省するとともに、10年いろいろと経験する中で自分のなかでたどり着いた答えに近いと感じたものも多かったように感じました。
結局は自身の体験を経ない限り、体感としてはつかめないものなのかもしれませんが、読むたびに新しい発見や気づきを与えてくれる書であると思いますので、間違いなく読んで損のない一冊だと思います。