「われわれは皆ゴーゴリの『外套』の中から生まれたのだ!」
上記はドストエフスキーの言葉とも、外交官ヴォギュエの言葉とも言われますが、要は後年のロシア文学は「外套」の影響を色濃く受けているという意だそうです。
こちらを読むきっかけとなったのは、前回ご紹介した「必読書150」。
未読の本の中で、読みやすいものはないかと探していたところ、こちらは「外套」のみですとなんと70ページ未満!ということで、これならどうにか読み切れそうという邪な気持ちで購入しました(^^;
しかししかし、さすが必読書というだけあって、本当にいい作品でした。
あらすじ
アカーキイ・アカーキエヴィッチは、公文書の浄書ひとすじの下級官吏。
自己の職務に対して誠実に取り組んでいるものの、その朴念仁ぶりに周囲からは嘲笑の的となっている。
そんなある日、すっかりぼろになった外套を新調しようとしたところ、自身の収入からは釣り合わないほど高級な外套を購入せざるを得なくなってしまう。
しかし、生活を切り詰め、どうにか立派な外套を仕立ててもらうことになる。その着心地のよさに大満足していた矢先、とんでもない事態が起こる。
たったひとつの「外套」のせいで…
主人公に対して次から次へと降りかかる悲劇、しかもことの発端はたった一つの外套であり、すべてはそこから起因し、まさかの結果につながってしまいます。
ですが、実際の人生においても、あるひとつの出来事がきっかけで、いろんな歯車が悪い方向に嚙み合ってどんどん坂を転げ落ちてしまう、ということがあると思います。その運命のいたずらというか、人生のままならないことをリアルに表現しています。時代背景は古いですが、主人公の感情には自然に共感することができます。
周囲の人物の描写の丁寧さ
この作品で驚くのは、70ページ未満という短さの中に、主人公を取り巻く人物まで丁寧に描いているところです。
主人公は、ある事件に遭遇し、ある高官に助けを求めて面会に訪れます。その高官は自らのプライドを満たすために、わざと主人公を長く待たせた挙句、激しく叱責して追い返してしまいます。
有力者は、自分の一言でひとりの人間の感覚をさえ麻痺させることが出来るという考えにすっかり有頂天になり、友人がどんな眼で見ているだろうかと、ちらとそちらを横眼で眺めたが、その友人がまったく唖然たる顔つきをして、そのうえ怖気づきかかってさえいる様子を見て取ると、満更でもない気持になったものである。
「鼻・外套」ゴーゴリ作、平井肇 訳、岩波文庫、岩波書店 P57
いるいる、こういう上司。。。
自分の権威を周囲にアピールするために大げさに人を怒るやつね。。。
こういうのに目の敵にされたらたまったものではありません。
ただ、この高官は自身の過度な叱責により招いた悲劇を知ったあと、
哀れなアカーキイ・アカーキエヴィッチが滅茶苦茶に叱り飛ばされて、すごすごと立ち去ってから間もなく、例の有力者は何かしら悔恨に似た感じを抱いたということである。彼とても決して血も涙もない人間ではなかった。
「鼻・外套」ゴーゴリ作、平井肇 訳、岩波文庫、岩波書店 P63
こういうところが、ゴーゴリは素晴らしいと思います。
完全に悪人として描き切らないところ、この人物にも人間らしい感情があったものの、たまたまその時の虚栄心で愚かな行動を取ってしまったのだという、人間理解の視点があります。
アカーキイ・アカーキエヴィッチのような人生は無意味か?
主人公は結局なにも残さなかった、残せなかった、ともいえるのかもしれません。
ですが、果たしてそれは意味のない人生だったのか?と言われると、そうではない、ということをこの作品は訴えかけてきます。
訳者が解説で秀逸なまとめをされているので、引用します。
ゴーゴリはこの無価値で寧ろ滑稽な主人公の肖像を、低級な風刺画や安価な感傷主義に堕せしめずして、読者の温かい同感をもって包むべく、至難な努力に完全に成功している。この作の芸術的価値がそこに燦然として輝いている。
「鼻・外套」ゴーゴリ作、平井肇 訳、岩波文庫、岩波書店 P137
(中略)ロシア文学のもっとも顕著なる特性は、運命と人とに辱められた不幸な零落者に対する憐憫の吐露であると言われているが、事実それがロシア文学の伝統であって、それの強化と発展の歴史に於いてゴーゴリの『外套』は最も重要な地位を占めている。
ロシア文学は長編が多く、きちんと読み切れたものはあまりないのですが、確かにロシア文学は、通常であればまったく注目されない一般人(しかも貧困層)に焦点を当てた作品が多いように思います。そして、あまりハッピーエンドもない気がします。
ですが、我々も基本的にそういった人生を終える可能性が高いなかで、こういった作品は「どんな人生にも意味がある」ということを語りかけてくれているような気がしますし、生きる勇気をもらえます。
この作品に出会えたことで、よりロシア文学を色々と読みたい、という気持ちが高まりました。
大作と言われるようなものもいつか必ず読破したいと思います。