西田幾多郎入門はこちらで! 永井均「西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ」

こちらを読んだきっかけ

こちらは、以前NHK出版から出ていた哲学のエッセンスシリーズの中の1冊として刊行された、「西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か」に加筆修正し、文庫化されたものです。

私が読んだのはこの原本の方でした。
大学生の時、卒論のテーマを何にするか悩んでいた時、西田幾多郎を扱おうと漠然と考える中で、なんとかとっつきやすい入門書はないものかと、図書館を漁っていた時に発見したものです。
厚さも薄く、また、当時あまり哲学者の名前を知らない中で、永井均先生の名前は記憶に残っていた(確か、現代文の問題で永井先生の著作から引用されているものがあり、とても印象に残っていたためと思われます)ため、「これならなんとか読めそうだし、信用できそう!」と思い、借りたところ、この本のおかげで西田幾多郎への入り口が開きました。

概要

私の底に汝があり、汝の底に私がある――。「私」と「汝」がともに「彼」に変容することが、言語の成立ということなのだ。西田哲学を他の哲学論と丁寧に比較、論じながら独自の永井哲学を展開。さらに文庫版付論・時計の成立「死ぬことによって生まれる今と生まれることによって死ぬ今」で、マクタガートの「時間の非実在性」の概念を介在させ、考察を深めた。無と有、生と死の本質にせまる圧倒的な哲学書。NHK出版『シリーズ・哲学のエッセンス 西田幾多郎<絶対無>とは何か』に新しく付論を加えて文庫化。

「西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ」永井均、角川ソフィア文庫、KADOKAWA

永井均さん 来歴

1951年生まれ。慶應大学大学院文学研究科博士課程単位取得。日本大学教授。専攻は、哲学、倫理学。著書に、『転校生とブラックジャック』『改訂版 なぜ意識は実在しないのか(以上、岩波現代文庫)、『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ちくま学芸文庫)、『〈子ども〉のための哲学』『これがニーチェだ』『私・今・そして神』(以上、講談社現代新書)、『存在と時間――哲学探究1』(文藝春秋)、『世界の独在論的存在構造』(春秋社)など多数。訳書に、マクタガート『時間の非実在性』(講談社学術文庫)などがある。

「西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ」永井均、角川ソフィア文庫、KADOKAWA

永井さんは、哲学をわかりやすくかみ砕いた著作が多いです。

西田幾多郎の哲学の難しさ

①同じ内容が繰り返される、わかりづらい文章

西田幾多郎の文章は、とにかくわかりづらい!!
同じようなことを何度も何度も繰り替えしているような文章で、前に進んでいるのか、戻っているのか、混乱してしまいます。
というのも、西田は自身の思考をそのまま書いているようなところがあり、同じようなことをくりかえし考えているからこそ、同じようなことを書いてしまうようです。
それをなんとなく理解していればまだよいのですが、初見で西田の著作を読むと、あまりのわからなさに衝撃を受けます。

②多様な西田特有の言葉

議論をわかりやすくするために、西田は特有のワードを多用しています。
「絶対無」「場所」「純粋経験」「絶対矛盾的自己同一」などなど…。いちいち説明したら大変なことになるので、短いワードにまとめてくれているのですが、そもそもそのワードが何を指しているのかさっぱりわからないと、もうお手上げです。先に入門書で大体の雰囲気をつかんでおくことが理解の助けになると思います。

③どうしても気になる宗教感

西田自身、禅に影響を受けていたそうで、仏教学者の鈴木大拙とは同郷で、友人でもありました。
西田の扱う概念は、とにかく意識の底というか、根本的な感覚を追求するので、宗教の領域に近い感じがします。これが気になる人は気になるとは思います。「これって、本当に哲学!?」と思ってしまう人もいるでしょう。それはもう西田はそういうものだ、と割り切ることも大事かなと思います。

この著作のよいところ

①あくまで独立した哲学書として書いているところ

永井先生は、あくまでこの本を、独立した哲学として書いたと言います。というのも、ただ単に解説しただけでは、本質に近づけないから、ということのようです。西田の思想を俯瞰して解説するのではなく、その思考のなかにどっぷり浸かり、私自身の興味として思考するなかで西田哲学のエッセンスを織り交ぜることで、西田哲学の解説であると同時に、読みながら思索できる哲学書になっています。

②西田哲学のもどかしさを伝えつつも、内容はわかりやすい

西田哲学はとにかく言葉にできないようなことを無理矢理言葉にしているところがあるので、まあもどかしいです。そのイライラする感覚を、この本はそのまま表せているように思います。下手にスッと落ちるように言わないところがすごい。かといって、内容がわかりにくいわけではなく、ちゃんと入ってくるので不思議です。

③西田の魅力についても触れている

再読して、私が西田を卒論に書きたいと思わされた一節を見つけました。

本文中に、西田は「超弩級の哲学的な化け物」と書いたが、おそらく西田の思索の仕方とその力には何か常軌を逸したところがある。(中略)私はそこに「悪魔的」な力を感じた。もちろん、西田に悪意があるとか、そういう意味ではない。彼は一介の真摯な探究者にすぎない。だが、その真摯さそのものの中に、ある種の悪魔的な力が感じられるのだ。
太平洋戦争中、若き学生たちが学徒出陣に際して西田哲学に心のよりどころを求めた、という話はよく知られているが、西田哲学に(中略)そういう力があったことは何かよくわかる気がする。ある種の悲壮な高揚感の中で死を納得させる力のようなものが、そこには感じ取れるからだ。

「西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ」永井均、角川ソフィア文庫、KADOKAWA

西田哲学は悪魔的だというのです。死を納得させるような力って、一体ナニ!?知りたいー!!と強く思ったことを思い出しました。確かに、西田哲学には難解ながらも「これはすごいことを言っているような気がする」と思わせる魅力があるんです。

日本人なら、ぜひ日本を代表する哲学者に触れてほしい

この本がなければ、西田をもっと知りたい、と思えなかったのではないかと思うくらい、感謝しています。原作を読んだ当時はあまり経済的余裕がなかったので図書館から借りただけでしたが、いまさらになって手元に置いておきたくなり、探したところまさかの名前を変えて文庫化しており、このたび飛びつきました。電子書籍も出ているようですし、とても手に取りやすくなっていますので、まずはこの本から、西田幾多郎先生に触れてみてはいかがでしょうか。おすすめです。