障害者との関わり方についての鋭い問題提起 大江健三郎「他人の足」

この本を読んだきっかけ

以前このブログでも紹介しましたが、「万延元年のフットボール」を読み、強烈なインパクトが残った大江健三郎さん。

別の作品も読んでみたいと思っていたところ、ある障害に関する動画を見た際コメント欄にこの作品のことについて触れている方がおり、非常に気になったため探したところ、ちょうど芥川賞受賞作である「飼育」も収録されている「死者の奢り・飼育」に入っているということで、これはいい!と購入しました。

新潮文庫「死者の奢り・飼育」収録作品

この本には、6編の短編が収録されています。

・「死者の奢り」
・「他人の足」
・「飼育」
・「人間の羊」
・「不意の唖」
・「戦いの今日」

解説は江藤淳さんです。全体で300ページほどになります。
今回取り上げる「他人の足」は27ページほどで、非常に短いので、すぐに読むことができます。

あらすじ

海の近い高原に建てられた、脊椎カリエス患者の未成年者病棟。
僕はその中の最年長の19歳である。その病棟は惰性と諦めの雰囲気に満ちていた。
ある日、足を悪くした大学生が新しく入院してくる。彼は退廃的な病棟の雰囲気を打破しようと、患者同士で結束し、外部への働きかけを行おうと呼びかける。
最初はそれを煙たがっていた患者たちも、やがて大学生の熱意に押され、希望の光を見出し始めるが…

脊椎カリエスとは、結核菌が背骨に影響し、背骨が曲がったり、骨が破壊されたりする病気です。
この話中の病棟に出てくる患者たちは、みな下半身が不自由になっているようです。

感想

感想①障害を持つ人間の諦め、苦しみの表現のうまさ

この作品は、脊椎カリエスという病気を抱えた「僕」の視点で展開します。その少年は、ほぼ不治の病を抱え、生涯歩くことはできないことがほぼ確実であり、人の手を借りなければ生きていけない人生に諦めを感じており、アイロニカルで後ろ向きな考え方をしています。

しかし、彼もおそらく最初からこうだったわけではなく、病の苦しさから消極的になってしまっただけで、心の底では希望を持ちたいという願望を持っています。

もし、私も彼と同じ病気だったとしたら、やはり彼と同じように、人生に後ろ向きになってしまう気がします。健常者とどうしても比較してしまって、苦しくなる気持ちも想像できます。その表現が痛いくらい刺さります。

感想②立場によって変わる障害者への関わり方がリアル

不治の病に冒された未成年者の病棟に、異端者がやってきます。
足の病気か怪我により収容されることになった大学生。しかし、彼の場合は治る可能性が全くないわけではありませんでした(ここがミソ)。

大学生は外部(=健常者)の世界の空気をまとった存在であり、諦めと退廃に満ちた施設の住民たちに、世の中を変えようと投げかけ、結束を呼びかけます。
最初はそれを煙たがっていた患者たちも、いつしか彼に賛同します。

しかしこの後、話は暗転します。
立場が変わったとき、大学生が元からの患者たちにどういった態度を取ったのか。
非常にリアルで怖さを感じました。

感想③大江健三郎自身の経験も踏まえている可能性

以前の「万延元年のフットボール」の感想でも少し書きましたが、大江さんの息子さんは知的障害がありました。障害というものが身近だった大江さんにとって、この作品の主題は自身の普段の生活の中で感じていた違和感から出てきたもののような気がしました。

私は今まで色々読んでくる中で、家族に障害者がおり、しかもそのことを作品の主題に持ってくる作家を見たことがなかったので、大江さんは障害のとらえ方について説得力のあるものを描ける稀有な作家だと思います。

大江先生、本当に勘弁してください

いやー、やっぱりこうなるか、という結末でした。

大江先生は、とにかく人間の汚い部分を浮き彫りにするのがうますぎます。通常の人間であれば避けたくなる、触れたくない方向にどんどん突き進んでいってしまうので、ある意味ホラーより読むのが怖いです。

ただ、それらは異常なものではなく、誰しもが抱える暗さであるため、読む人それぞれに対して鋭く問いを突きつけてくる作品だと思います。

障害者の実態はとても綺麗事では済まされない部分があり、それを乗り越えたうえで、どう相互理解していくのかが大事だと思います。障害を考えるうえで、必読の作品だと思います。怖いけど、おすすめです。