ナチスに立ち向かった信念の指揮者フルトヴェングラーの言葉 「音と言葉」

この本を読んだきっかけ

私は幼少期からピアノを習っていたおかげで、クラシック音楽には親しんできた方なのですが、演奏者や指揮者についての知識がからきしで、やっと最近意識して見るようになったところです。

そんななか、先日NHKのドキュメンタリーにて、フルトヴェングラーという指揮者がユダヤ人のオーケストラ団員を守るため、あえてナチ側につくような行動をしていた、ということを知り、大感動しまして、「もっとフルトヴェングラーについて知りたい!」と検索したところヒットしたのがこちら。

ご本人の生の文章を読むことができるところに惹かれ、僅少本ながら大型書店でなんとか購入しました。

概要

両大戦にはさまれた苦難の時代を断固たる勇気をもって生きぬき、ベルリン・フィルやヴィーン・フィルなどを指揮した数々の名演奏によって今や神話的存在にまでなったフルトヴェングラー。本書は、この20世紀前半最大の指揮者が、作曲家を論じ、演奏法を説き、音楽の心について語った感銘深い評論13編を収める。巨匠の音楽に対する愛の深さ、信念の厳しさは読む者の心を強くゆさぶる。

「音と言葉」フルトヴェングラー、芳賀檀(訳)、新潮文庫、新潮社

フルトヴェングラー 来歴

1886‐1954
ドイツの指揮者・作曲家。1922年にニキシュの後を継いでライプツィヒ・ケヴァントハウス管弦楽団とベルリン・フィルの指揮者となった。以来、ドイツ楽壇に君臨する存在として、主に古典派からロマン派にかけてのドイツ音楽を指揮し、深い精神性をたたえた名演奏を残した。20世紀最大の巨匠として神格化される存在。

「音と言葉」フルトヴェングラー、芳賀檀(訳)、新潮文庫、新潮社

目次

上にありますように、この本には13編の評論が収録されています。目次は次のとおり。

・すべて偉大なものは単純である
・バッハ
・ベートーヴェンの音楽
・ベートーヴェンと私たちー『運命』第一楽章のための注意-
・『フィデリオ』の序曲-文献としての真実の価値-
・ロマン派について
・ブラームスと今日の危機
・ワグナーの場合
・アントン・ブルックナーについて
・ヒンデミットの場合
・作品解釈の問題
・ヴィーン・フィルハーモニーについてー百年祝典記念講演ー
・音と言葉

やはりドイツの指揮者ということで、ほぼドイツまたはオーストリアの音楽家に関する評論が多いですね。

感想

感想①音楽という抽象的なことがらを言葉に落としこむ文章力

のっけから驚いたのは、音楽という言葉とは次元の違うものを言葉で表現する力です。私は芸術家というのは感性で生きていると思っているので、文章を書くことにそれほど慣れていないのでは、と思っていましたが、言葉にしづらいものをうまーく落とし込めているように感じました。

ただ、指揮者というのは奏者たちに自分のイメージを言葉で指示しないといけませんから、比較的音楽を言葉で表現するのは得意なのかも?指揮者にたがわず、他の方もそうなのでしょうか。気になるところです。

感想②ドイツ音楽への愛情の深さ

この本に登場するバッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー、ヒンデミット、ブルックナーは全員ドイツ・オーストリアの音楽家です。やはり自身もドイツ人ということで、ドイツ音楽への愛情が半端じゃないと感じました。

私は幸いバッハ、ベートーヴェン、ブラームスについてはもともと好きで、自分なりに思うところがあったため、フルトヴェングラーの論は楽しく読むことが出来ました。ですが、やはりこのような具体な話になってくると、元の音楽を知った上で読まないとなかなかイメージが湧かないかもしれません。ぜひ元ネタを聞いてから望むことをオススメします(^^;

ですが、「すべて偉大なものは単純である」、「作品解釈の問題」、「音と言葉」については抽象的な話ですので、個々の作曲家に詳しくなくても興味深く読むことが出来るかなと思います。

感想③芸術についての深い思索と信念

読んでいて思ったのは、音楽という抽象的なものについて、フルトヴェングラーは自分の考えをだいぶはっきりと持っているなということです。現代の潮流のようなものにも、割とはっきり反対します。
音楽ってはっきりした正解がない気がするので、きっぱり意見を述べることができる時点でよほど考えがしっかりしていると思います。
そういったところが、ナチスから団員を守り切るほどの強さにもつながるのかもしれません。芸術に対して誠実である、ということは自身の生き方にも誠実である、ということなのだと思いました。

この本は純粋な音楽の評論が多いので、政治的な話はあまり出てこないのですが、最後の訳者による解説が、短いながらも非常にフルトヴェングラーのよいところをよく表現しているので、引用します。

芸術家とは純情と献身にきびしく生き、その偉大な古典の故郷を限界まで追求する人にほかならない。そういう「人間」こそ芸術にはじめて意味と価値を与えるのである。そういう芸術の運命を彼はここにバッハやベートーヴェンやブラームスの中に、またブルックナーやワグナーの悲劇的な生涯の中に、問いつめ、悲しみ、愛惜せずにはいられなかった。これが彼の音楽であり、演奏の根底をなす意味であった、一言にしていえば、「美しい心を取り戻す」ということだったかもしれない。

「音と言葉」フルトヴェングラー、芳賀檀(訳)、新潮文庫、新潮社、p274

超一流の音楽家の文章って案外おもしろい

私たちは普段、音楽家には音楽を介して接することが主で、各人の言葉に触れる機会はなかなかありません。ですが、音楽家もそれぞれに哲学があり、特に超一流の音楽家ともなると、とらえているものの深さがすごいと思います。
今後も折に触れて音楽家の文章を読んでいきたいと思います。みなさんも、伝説的指揮者の思想の一端に触れてみてはいかがでしょうか。