この本に出合ったきっかけ
確か、この本を見かけたのは何かの雑誌の本特集だったかと思います。
悲しいことばかりのネガティブ人間には、非常に刺さるタイトルでした。
さらに、本屋で見たところ、(当時)皇后美智子様もお読みになった、というPOPが立っていて、さらに気になったため、購入に至りました。
編者:山田太一さん 来歴
1934年、東京・浅草生まれ。
「生きるかなしみ」山田太一、ちくま文庫、筑摩書房より
早稲田大学教育学部卒。1958年、松竹大船・演出部に入社。1965年、退社してフリーのドラマライターとなる。TVドラマ「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」「日本の面影」など。小説に『異人たちとの夏』『飛ぶ夢をしばらく見ない』、シナリオに「少年時代」などがある。菊池寛賞、山本周五郎賞、放送文化賞などを受賞。
大学の授業ななにかで、昭和の大ヒットドラマとして「岸辺のアルバム」を一部見たことがありますが、結構なセンセーショナルな内容で、これが普通に放送されていたのか、とちょっとびっくりした記憶があります。
構成と前文
この作品は、「編者」山田太一さんと書いたとおり、「生きるかなしみ」をテーマに、山田さんが集めた15作品のアンソロジー(選集)です。
(あえて「かなしみ」とひらがなにしたところがセンスを感じます)
この本で秀逸なのが、やはり編者山田太一さんによる前文「断念するということ」です。
この一編を読むだけでもかなり価値のある本です。
「生きるかなしみ」とは特別のことをいうのではない。人が生きていること、それだけでどんな生にもかなしみがつきまとう。「悲しみ」「哀しみ」時によって色合いの差はあるけれど、生きているということは、かなしい。いじらしく哀しい時もいたましく悲しい時も、主調底音は「無力」である。ほんとうに人間にできることなどたかが知れている。
「生きるかなしみ」山田太一、ちくま文庫、筑摩書房 P8
生きることはかなしい、と山田さんは言います。
全面的に同意です。つらいこと、かなしいことこそ、人生の本質のような気がしてなりません。
暗いことにはなるべく目を向けたくない。…(中略)…
「生きるかなしみ」山田太一、ちくま文庫、筑摩書房 P9~10
しかしこうした楽天性は一種の神経症というべきで、人間の暗部から逃げ回っているだけのことである。目をそむければ暗いことは消えてなくなるだろうと願っている人を、楽天的とはいえない。本来の意味での楽天性とは、人間の暗部にも目が行き届き、その上で尚、肯定的に人生を生きることをいうのだろう。…(中略)…
そして私は、いま多くの日本人が何より目を向けるべきは人間の「生きるかなしさ」であると思っている。人間のはかなさ、無力を知ることだという気がしている。
ブラボー!!と快哉を叫びたくなりました。
人間は無力であるということを受け止め、謙虚な気持ちを忘れずに生きるということが大切なのかもしれません。
収録作品
どんな作品が収録されているのか気になる方のために、拙い要約で恐縮ですが、全編記載します。
1.或る朝の(吉野 弘)
妻の溜息から、妻の日常生活のなかで蓄積されたかなしみを読み取った詩。
2.覚悟を決める/最後の修業(佐藤 愛子)
歯に衣着せぬ論調でファンの多い佐藤愛子が、老いていくかなしみをどう迎えるかの覚悟を語ったエッセイ。
3.めがねの悲しみ(円地 文子)
まだコンタクトが手に入りづらかった時代に、筆者が、眼鏡が似合わず苦しんでいたことを回顧したエッセイ。
4.私のアンドレ(時実 新子)
早くに夫を亡くし、50を過ぎてから友人であった既婚者と再婚した女性作家の、2人の夫との関係性とその変化について率直に語ったエッセイ。(ちなみに、アンドレとはベルばらのアンドレのこと)
5.兄のトランク(宮澤 清六)
宮沢賢治の実弟である筆者が、賢治が都会と故郷を行き来する際などに使っていた大きなトランクを中心に、兄との思い出を語ったエッセイ。
6.二度と人間に生まれたくない(宇野 信夫)
輝かしい人生を送っていると思っていた知人から飛び出た意外なひと言に、周囲の評価からは読み取れない本心を目の当たりにしたことを描いたエッセイ。
7.太宰治ー贖罪の完成(五味 康祏)
太宰治の文章の底層にあるのは、共に心中した女性を「意図的に」殺したことに対する罪の意識ではないかという自論を、死亡事故を起こした自らの姿に重ねて分析する論説。
8.山の人生(柳田 國男)
山にまつわる、貧しい時代に起こった悲惨な殺人事件2件を取り上げた文章。現実は小説よりも惨たらしいということを突きつけた、「山の人生」の序文。
9.『秘められた日記』から(アンドレ・ジッド(新庄 嘉章 訳))
男色であるにも関わらず結婚した妻のマドレーヌが、ジッドの性癖を悟ったときの様子を回顧した自省録。
10.『断腸亭日乗』から(永井 荷風)
筆者が戦時中から戦後までを描いた表題作より、終戦までの数日を抜粋したもの。
11.ふたつの悲しみ(杉山 龍丸)
筆者が、ベトナム戦争に派遣された日本兵士の家族に対して、その死を伝えたときのできごとの記録。
12.望郷と海(石原 吉郎)
筆者がシベリアに抑留され、25年の強制労働を命じられるも、スターリン死去により特赦で帰国するまでの記録。
13.大目に見られて(ラングストン・ヒューズ(木島始 訳))
黒人である筆者の手によるフィクション。見た目がほぼ白人である黒人の主人公が、白人女性と結婚し、白人社会で生きることを決めたことにより、肉親と別離することになるかなしみを描いている。
14.失われた私の朝鮮を求めて(高史明)
生粋の朝鮮人である父親と、在日二世として育った筆者ら子どもたちの間で、使用する言語の違いから、心もすれ違っていく様子とつらい心情が描かれた回顧録。
15.親子の絆についての断想(水上 勉)
筆者が自らの貧しい生い立ちと、里子に出された息子との再会のエピソードを中心に、親子の絆と、個人としてのありようについて考えを巡らせた文章。
改めて読み返してみて、最初は詩から始まり、比較的軽い内容であったものが、後半になると戦争関連の話が増え、心に与えるダメージも大きくなるなという印象でした。
おそらくどの順番で読ませるかということも、編者は色々と考えてのこの順番なのだろうと思うと興味深いものがあります。
すべて味わい深い作品ばかりですが、かなり久しぶりに読み返して、一番響いたのは4番目の「私のアンドレ」でした。
この本を買ったのはまだ独身の頃だったと思うので、結婚後の心情というのは想像するしかなかったのですが、結婚してから改めて読むと胸に迫るものがありました。
男女から夫婦になり、お互い年をとって醜くなっても、一緒に過ごすことの深みを再認識しました。
また、14番目の「失われた私の朝鮮を求めて」は、購入当時はここまで到達できなかったのか、読んでいなかった気がするのですが、今回読んで、戦争は最も身近な家族の間にも、埋められない溝を作ってしまうのだということと、祖国を奪われるつらさで胸が締め付けられました。
一度にたくさんの著者の作品に触れることができるのがアンソロジーの面白さだと思います。
みなさんもぜひ気に入る一編を見つけてみてください。