「批評の神様」小林秀雄ことはじめにオススメ『読書について』

よくわからないけどすごい人、小林秀雄

小林秀雄って、本を読んでいると非常によく名前を見ます。
学生のころは、評論文の問題にもよく出ていたような…

ただ、この方、「批評の神様」と呼ばれ熱狂的な支持者がいる一方で、「何を言っているのかわからない」とはっきりと言って批判する知識人も多いということを、最近知りました。

私個人としては、確かに理論というよりは感性で書いているように感じることもありましたが、「さっぱり何を言っているかワカラナイ」ということはあまりなく、「よくわからない時もあるけど、言いたいことはわかるし、すごいことを言っている(気がする)」と感じます。
あと、とにかく読んでいて面白い。読者を興奮の渦に巻き込むのが非常にうまい作家だと思います。
批評というルールからははずれているところもあるようですが、読んで面白い、というのは才能としか言いようがないと思いますし、読む価値のある作家であると思います。

今手にしやすい小林秀雄作品は?

そんな小林秀雄ですが、主にこの方の作品を読めるのは新潮文庫が多いようです。

〈新潮文庫で読める小林秀雄作品〉
・人間の建設(数学者岡潔との対談)
・モオツァルト・無常という事
・近代絵画
・本居宣長(上・下)
・ゴッホの手紙
・直観を磨くもの 小林秀雄対話集
・作家の顔
・批評家失格 新編初期論考集
・学生との対話
・ドストエフスキイの生活
・Xへの手紙・私小説論
(評論家としてのスタートとなった懸賞次席当選作「様々なる意匠」収録)

全部読んだわけではありませんが、最初の「人間の建設」は対談で話し言葉ということもあり、読みやすいと思います(最近では新潮文庫夏の100冊に入っていたりもするくらいですので、とっつきやすいということではないでしょうか)。

このほかにも色々な出版社から様々な作品が出ています。
有名な「考えるヒント」(1~3)は文春文庫から出ていますが、「ヒント」と言いつつ結構難しいので、ここから入ってしまうとなかなか親しみにくいのではないかと個人的には思ってます。
頭の良い方なら全然大丈夫なのかもしれませんけどね汗

小林秀雄入門に最適な作品がありました

そこで、今回ご紹介する「読書について」(小林秀雄、中央公論新社)です。
こちらは“読書”や“書くこと”をテーマにした著述を中心に編集した作品で、「批評の神様」の考える読書論とは、ということを知ることができるのはもちろん、複数の作品を読む中で小林秀雄とはどういう人なのか?ということが伝わりやすい一冊になっていると思います。

おまけに感動したのは、私の尊敬する哲学者である木田元さんが解説を書いていること!
これだけでも私はこちらを購入した意味があったなと思ってます。

〈収録作品〉

・読書について
・作家志望者への助言
・文章鑑賞の精神と方法
・読書の工夫
・読書週間
・読書の楽しみ
・国語という大河
・カヤの平

・喋ることと書くこと
・文章について
・文章について(誤りではありません。確かに2つ同じタイトルの文章が載っているのです)
・批評と批評家
・批評について
・批評

・文化について
・教養ということ〈対談〉

解説

これだけ入って200ページを切っていますので、一編一編はかなり短めで、読みやすいです!
なお、この本は単行本ですので、文庫コーナーにはありませんし、サイズ的にも小さめなので、本屋で探す際には注意です。

小林秀雄 来歴

以下、来歴です。

明治三十五年(1902)、東京神田に生まれる。東京帝国大学仏文科卒。昭和四年(1929)雑誌「改造」の懸賞評論に「様々なる意匠」が二席入選。翌年から「文藝春秋」に文芸時評を連載、批評家としての地位を確立する。代表的な著作に「私小説論」「ドストエフスキイの生活」「モオツァルト」「ゴッホの手紙」「近代絵画」「本居宣長」など。昭和三十八年、文化功労者。昭和四十二年、文化勲章受章。昭和五十八年没。

「読書について」小林秀雄、中央公論新社

こういったところには書かれないですが、注目すべきは、大学生時代にあの有名な詩人である中原中也と、女性を巡って三角関係になっており、最終的に同棲していたということです。この時代に大学生が女性と同棲するって、結構なことなんじゃないのって思いますけど(^^; こういうエピソードもなんだか意外。あと、個人的に小林秀雄は結構イケメンだと思います(白洲次郎みたいな感じ、と思ったら、小林秀雄の娘が白洲家に嫁いでいました。すごい関係性)。

印象的だった箇所①~進んで乱読せよ~

私が印象的だった箇所をいくつか引用します。
まずは表題作、「読書について」から。

僕は、高等学校時代、妙な読書法を実行していた。学校の往き還りに、電車の中で読む本、教室で窃かに読む本、家で読む本、という具合に区別して、いつも数種の本を平行して読み進んでいる様にあんばいしていた。まことに馬鹿げた次第であったが、その当時の常軌を外れた知識欲とか好奇心とかは、到底一つの本を読みおわってから他の本を開くという様な悠長な事を許さなかったのである。…(中略)…
濫読の害という事が言われるが、こんなに本の出る世の中で、濫読しないのは低脳児であろう。

「読書について」小林秀雄、中央公論新社、P9~10

小林さん、併読大賛成派のようです。むしろ濫読しない奴なんてバカだろ、くらいの感じで言ってます汗。言葉強すぎですが、私も常に併読してしまうタチで、落ち着きがなくてよくないかなと不安に思っていたところでしたので、非常に勇気づけられる言葉でした。

印象的だった箇所②~ダイジェスト(要約)批判~

次は、「読書週間」から。

愛読書を読みこなすのに、どうして消化剤(ダイジェスティヴ=要約)などが要ろうか。…(中略)…人々は、あたかも人と交際する様に、書物と個人的な交りを結ぶという様な面倒を嫌うようになった。生活の上でも個人的な交りというものが、人間生活の上で、どんなに意味の深いものかという難かしい考え方を嫌い、集団の裡にいて安易な昂奮を求めるようになったのであるから、愛読書どころの騒ぎではないでしょう。愛読者の代りにファンというものが現れている。作者もこれに迎合して、文学の代りに娯楽物を提供しているのですから、正直にそう言えばよいのですが、私小説からの脱出などと空々しい事を言っております。

「読書について」小林秀雄、中央公論新社、P59

これ、すごく耳の痛いことを言われてる気がします。
要するに、本当に文学を理解するためには時間が必要なのに、てっとりばやく要約で理解した気になっている人がいるし、そういったものを提供する人もいて、おかしいということを言っています。

でも、最近「10分でわかる○○」とか、ファスト映画とか、そういったものがもてはやされていますよね。しかし、小林はこのような風潮にはっきりとNOを突きつけます。この作品は昭和29年(1954年)に書かれたものですが、現代のこの状況を見越していたかのような批判で、ハッとさせられました。

印象的だった箇所③~自分の文章、意味わかんない~

次は「国語という大河」より。
ある日、小林は娘から、意味が分からないという国語の試験問題を見せられ、これは悪文だといったところ、まさかの自分の書いた文章だったという話。

三十年も文章を書いていると、ずい分いろいろな文章が出来上がってしまうものだと思う。そんな言い方がしてみたくなるのも、自分で作る文章ほど、自分の自由にならぬものはないことを、経験が否応なく私に教えたからである。だから、書くことは、いつまでたっても容易にはならない。自分の文章に関する自分の支配力を過信した私の未熟時代は、他の文学者たちに比べて、よほど長かったように思われる。

「読書について」小林秀雄、中央公論新社、P68

批評の神様という呼び名に似合わず、随分と謙虚な姿勢です。
私はてっきり、神様ですから、自分の文章は最高だと思っているのかと思っていましたが、ここを読んでかなり小林秀雄のイメージが変わりました。自分でも変な文章だと思っていたのですね笑。

人間的な魅力溢れる小林秀雄の沼にハマッてほしい

あと、ぜひ読んでほしいのは「カヤの平」です。友人とスキーに行き、上級者とはいえないにも関わらず難しいコースに挑戦してしまい、けがをしてしまった、というエピソードが軽妙なタッチで描かれており、自分の恥ずかしいところも笑いにするユーモアセンスが素晴らしいなと感じました。

このように、小林秀雄という人物は、あらゆる著作を通して、さまざまな表情を見せてくれる作家です。批判もあれど、非常に鋭い着眼点と筆力で多くのファンを獲得してきたことは間違いなく、魅力のある書き手であると思います。まだ小林秀雄に触れたことのない方は、ぜひこの本から読んでみてほしいと思います。

読んでみたけど、ワケワカラン!と思った方はこちらをどうぞ

読んでみたものの、何言ってるかさっぱりわからん!とお感じになった方も、ガッカリする必要はありません。実はそう思っている方はたくさんいるのです。

私は小林秀雄擁護派なので真っ向から否定はしませんが、薄々批判はされる文体だろうなと感じていたところ、最近このような作品があることを知り、読んでみたところ目からウロコでした。

「ドーダの人、小林秀雄 わからなさの理由を求めて」鹿島茂、朝日新聞出版

著者の鹿島茂さんは小林秀雄と同じ、東京大学文学部仏文科卒ですので、めちゃくちゃ頭の良い方です。この方がわからないというなら、わからない人が多くいるのはおかしくないのです。
「なるほど!そういうところが問題だったのか!」というのが明確にされており、負け惜しみでない、建設的な批判の書となっています。
ですが、挙げられている欠点をもってしても、それすら魅力に感じてしまいます。