今、まさに読まれるべき詩 「パウル・ツェラン詩文集」

必読書150

吸い寄せられた一冊

先日、2023年の代官山蔦屋書店はじめをしてきました。
お洒落で、書店員さんのこだわりが随所に見られて、いつ行ってもワクワクします。

そんななか、外国作家の書棚を見ていた時に、目が合ったのがこちら。
実は、もともと「必読書150」に入っていたため、買いたい本のリストに入っていました。
(ツェランの詩集という挙げられ方でしたので、この本そのまま、というわけではありませんが)

このリストの本を読まないのはサルである!?「必読書150」
これを読んでおけば安心!なブックリスト最近、「タイパ」という言葉があるそうですね。タイムパフォーマンス(時間対効果)の略で、かかった時間に対する効果の程度を表すということで、この「タイパ」を意識した行動が増えているとか。実...

大きな書店にしかないようだったので、なかなか出会えなかったのですが、ここで出会ったのが運命と購入しました。これが本当にすごい作品でした。いきなり2023年イチが出てしまったかも。

著者 パウル・ツェラン 来歴

1920年、旧ルーマニア領、現ウクライナ共和国内のチェルノヴィツでユダヤ人の両親のもとに生まれる。
ドイツ語を母語として育つ。第二次世界大戦が勃発、ドイツ・ルーマニア連合軍によりチェルノヴィツが占領されると、両親がナチスの強制収容所に連行され、父は病死(または射殺)、母は殺害される。ツェランは強制労働収容所で肉体労働に従事。44年、チェルノヴィツに帰還後、収容所などで書いてきた詩をまとめ始める。45年、ブカレストに移り、翻訳者・編集者生活を送りながら、新聞に詩編を発表。47年、ウィーンに移り、48年から亡くなるまでパリで生活する。ソルボンヌ大学でドイツ文学と言語学を学ぶ。同年、最初の詩集『骨壺からの砂』を上梓するも、誤植が多く回収。50年、文学士号を取得、同大学の講師となる。52年、第一詩集『罌粟と記憶』を刊行。以後、8冊の詩集を刊行。版画家ジゼル・レストランジュと結婚。55年、フランス国籍を得る。58年、ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞。60年、ゲオルク・ビューヒナー賞を受賞、受賞講演「子午線」を行なう。61年頃から重い精神病を患い、70年4月、セーヌ川に投身自殺。

「パウル・ツェラン詩文集」飯吉光夫 編・訳、白水社

なんてつらい人生でしょうか。両親を強制収容所で亡くし、せっかく生き残ったにも関わらず、最期はなんと自殺…。おまけに、上には載っていませんが、知人の妻から盗作疑惑を持たれ、執拗に告発されていたとのこと。生涯通じて苦しみ続けていたと思われます。胸が痛くなります。

編訳者 飯吉 光夫さん 略歴

編訳者の方の略歴も載せさせていただきます。

1935年 旧満州奉天生まれ。59年東京大学独文科卒。
62年同大学院修士課程修了。73~74年ベルリン・パリに滞在。首都大学東京名誉教授。
主要著書:ツェラン『罌粟と記憶』(静地社)、『閾から閾へ』(思潮社)、『ことばの格子』(書肆山田)、『誰でもないものの薔薇』(静地社)『息のめぐらし』(静地社)、『絲の太陽たち』(ビブロス)、『迫る光』(思潮社)、『雪の区域』(静地社)、『パウル・ツェラン/ネリーザックス往復書簡』(ビブロス)
他多数。

「パウル・ツェラン詩文集」飯吉光夫 編・訳、白水社

パウル・ツェランの第一人者であられるということで、ほぼすべての詩を翻訳されているとのことです。

構成

この作品は、大きく分けて二章に分かれており、第一章が詩、第二章が講演や散文、最後にはパウル・ツェラン年譜と、編訳者による解説(これがめちゃくちゃ重要)がついており、一冊でパウル・ツェランの全体がつかめる構成となっています。

一般的に詩集というと、当然ですが詩が中心となりますので、筆者の人となりがよくわからなかったりします。詩人によっては、前知識がまったくなくても問題ない詩人もいると思いますが、ツェランについては、置かれてきた環境や来歴が詩の内容に深く影響しているため、周辺の資料があった方が確実にいいタイプの詩人だと思います。

特筆したいのは、編著者による解説です。なんと、すべての詩文についてコメントがついているのです。これが本当にありがたい!!詩は字数が少ない分、情景の読解が難しいものが多いですが、こちらのおかげでかなり理解が進みました。また、その解説も、解説しすぎることもなく、非常にちょうどいい内容でした(詩集にはこんなふうに全部解説つけてほしい…)。

作品について

掲載されている詩についてですが、個人的に、意味がはっきり分からないところもありつつも、不思議と言いたいことは伝わってくる、そんな詩でした。
特に代表的なものと言われている「死のフーガ」は圧巻です戦争の中で行われる矛盾、被害者側の追い詰められた精神状況が、反復のなかで胸に迫ってきます。
その後の作品については、少しずつ死に接近している様子が嫌でもわかり、一編の長さもどんどん短くなっているところも、精神的な切迫感を感じます。

そもそも、詩を翻訳するということは、通常の文章を翻訳する以上に困難な作業だと思います。だってそもそも説明が少なすぎますもん。それをこうやって努力の上で翻訳してくださり、このようなわかりやすい構成にして世に出してくださった飯吉先生に敬意を表します。

血を吐くように紡がれた言葉たちが与えてくれるもの

ウクライナがまさに戦火の中にいるいま、ウクライナの地で生まれた詩人の、戦争の経験から生まれた詩に触れられたことは、すごく意味のあることだと思います。

詩は言葉少なに感情を表現するものですが、言葉が足りない、脈略がないからこそ、戦争の悲しみ、つらさ、苦しさがかえってよく伝わってきた気がします。戦争は、命は助かったとしても、一生続く心の傷を生み、その記憶は生涯人生を縛り続けることになるということが、実感として迫ってくるようでした。

ツェランは非常に苦しい人生でしたが、それを言葉にして残してくれたおかげで、後世の私たちも戦争の悲惨さを感じることができます。またしても人類は悲劇を繰り返しているわけですが、ひとりひとりがこのような作品に触れて何かを感じることで、何かが変わると信じたい。間違いなく全人類必読です。