転向を巡る親と子の対立と葛藤 中野重治「村の家」

必読書150

こちらを手に取ったきっかけ

前回に続き、「必読書150」に載っていた作品からです。

このリストの本を読まないのはサルである!?「必読書150」
これを読んでおけば安心!なブックリスト最近、「タイパ」という言葉があるそうですね。タイムパフォーマンス(時間対効果)の略で、かかった時間に対する効果の程度を表すということで、この「タイパ」を意識した行動が増えているとか。実...

「必読書150」の文献紹介では、講談社文芸文庫に収録とありましたが品薄で、どうにか他に収録されていないかと探していたところ、まさにドンピシャの本がありました。中野重治さん生誕120年ということで出版された文庫で、代表作数作と、中野さんを巡る著名人のエッセイ(石井桃子・安岡章太郎・北杜夫・野坂昭如という豪華ラインナップ!)が収録されています。

「村の家」を読むにあたって ― “アカ”とは何か

この作品を味わうにあたって、必須の知識は“アカ”とはなにか、ということです。
“アカ”とは、日本共産党員のことを指します。なぜ“アカ”なのかというと、社会主義や共産主義の象徴が赤い旗だからだそうです。

戦前には治安維持法により、戦後には、GHQの方針を受け、資本主義と対立する共産主義が弾圧されていました。これを“アカ狩り”と言います。
また、“アカ”がその思想を捨てることを特に“転向”と言います。今では普通に考え方を変える、という意味で使われることが多いので、あんまり“転向”→“共産主義”と脳内変換される人は少ないのではないかと思いますが、戦前・戦後の作品ですとここでピンと来るべきことがあります。

作者 中野重治(なかの・しげはる) 来歴

次は、作者の中野重治さんの来歴です。

一九〇二(明治三五)年、福井県生まれ。小説家、評論家、詩人。第四高等学校を経て東京帝国大学独文科卒業。在学中に堀辰雄、窪川鶴次郎らと詩誌『驢馬』を創刊。日本プロレタリア芸術連盟やナップに参加。三一年日本共産党に入党するが、のちに転向。小説「村の家」「歌のわかれ」「空想家とシナリオ」を発表。戦後、新日本文学会を結成。四五年に再入党し、四七年から五〇年、参議院議員として活動。六四年に党の方針と対立して除名された。七九(昭和五四)年没。主な作品に『むらぎも』(毎日出版文化賞)、『梨の花』(読売文学賞)、『甲乙丙丁』(野間文芸賞)、『中野重治詩集』などのほかに、『定本中野重治全集』(全二八巻)がある

「歌のわかれ・五勺の酒」中野重治、中公文庫、中央公論新社

なんと、中野さん自身が日本共産党員であったということ。しかも検挙されたうえで転向を経験しているということですので、今回の作品には並々ならぬ強い想いがあったと推察されます。

村の家 あらすじ【以下ネタバレ注意】

勉次は東京滞在時、“アカ”であったために罪に問われ、裁判にかけられていたが、家族の尽力もあり執行猶予つきとなり、保釈が認められる。現在は地方の実家に戻り、小遣い稼ぎに翻訳などをしているが、共産主義を是としない年老いた父=孫蔵は息子に転向を迫る。
勉次と孫蔵をとりまく環境と、親子それぞれの思いが錯綜する様を描いた、傑作短編。

本作の特徴

特徴① バリバリの方言

本作は38ページほどの作品ですので、サクサクっと読めてしまうかと思いきや!
バリバリの方言が立ちはだかります。これがかなりシンドイ。何言ってるかワカラン。途中で挫折しそうになってしまいました。
ですが、ここは意味は完全にはわからなくてもいい!という気持ちで読み進めることが大事です(^^;

特徴② 親子の視点のバランス

この作品が面白いと感じるのは、父の孫蔵と息子の勉次の視点のバランスです。
この2人の視点が交互に出てくる感じで、どちらか一方だけではないのです。考え方の対立をはっきりさせるためには、バランスよく配置することが必要だったという事でしょうか。

特徴③ 最後まで明かされない、勉次がアカになった理由

本作は、勉次が捕まって以降の話が中心になりますので、「そもそもなぜ勉次がアカになったのか」の経緯や理由は明かされません。おそらくですが、本作の発表は1935年であり、まだ治安維持法が生きていた時代だったため、あまり共産主義に賛成するようなことを書けなかったのではないでしょうか。
そもそも、この時代にこのような作品を書いて、大丈夫だったのでしょうか。心配になります。
(実際、出所後にこちらの作品等を発表したため、執筆禁止処分を受けていました…)

すれ違う親子の気持ち

この作品を読了して感じたのは、父親寄りの視点で読んでしまうな、ということです。
上にも書いたように、この作品では勉次がなぜ共産主義になったのかの経緯がわからないため、勉次の味方をしようにも、とっかかりがない状態なのです。
それに対し、父親の孫蔵のこれまでの生き方や考え方は、比較的詳細に語られます。自身は村の小役人として真面目に生きてきたにも関わらず、子や孫の死、更には息子の逮捕とそれに伴う村の評判と、苦難が次々と襲い、年を取ったことにより気が弱くなった部分もあり、悲愴感が漂います。

私がかなりグッと来たのは、刑務所に届く勉次への孫蔵からの手紙の文面です。日々の出来事や家族の様子を淡々とつづりながらも、息子の健康を案じ、捕まったことを責めません。息子の裁判にも趣き、保釈のために骨を折ります。

最後に父は息子に直接説得を試みますが、私が勉次の立場であったら普通に筆を折っているでしょう。
それだけ、父の考えは、世間体が悪いとかそんな単純な理由ではなく、説得力のあるものなのです。それでも思いは息子になかなか届かない。相互理解の難しさを感じます。

本作が取り上げられたのはアカの息子、という立場でしたが、これは犯罪を犯した子を持つ親という普遍的なテーマに通ずると思いました。子は子の考えで行動するが、それに巻き込まれる親や親族の苦労は並大抵ではない、ということなど、深く考えさせる作品でした。確かに必読です。